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■ サッカー日本代表の歴史

1、日本代表の誕生

 (1921年〜第2次世界大戦)

 1921年、大日本蹴球協会創立、そして1929年、日本の国際サッカー連盟(FIFA)加盟。この時が日本代表の誕生であったと言ってよいだろう。しかし、それは日本代表の苦難の歴史の始まりでもあった。
 
 FIFA加盟の翌年の1930年、日本代表は極東選手権大会優勝を果たす。(1勝1分、中国と同位)サッカー界においては遥か辺境の小さな大会ではあるがサッカー日本代表は初の国際タイトルを獲得。そして、1936年ベルリンオリンピック、ベスト8。日本代表は五輪初出場で強豪スウェーデンを破り世界を驚かせた。(『ベルリンの奇跡』)

 日本代表、そして日本サッカー界の輝かしい未来を予感させ得るものであったが世界はそれをゆるさなっかた。−第2次世界大戦、そして太平洋戦争の開戦である。

※『ベルリンの奇跡』
 日本代表がオリンピック初出場したベルリン大会(1936年)の緒戦で優勝候補でもあった強豪スウェーデンを破った試合。技術・フィジカルともに圧倒的に差をつけられていた日本代表は前半で2点を奪われてしまう。しかし、後半62分に同点に追いつき、そして試合終了5分前に逆転ゴールを決め、そのまま逆転勝利。『ベルリンの奇跡』とはその試合展開からきたものとも取れるが、主には当時の日本サッカーの実力を暗に揶揄したところから来たのでであろう。

 

2、苦難の連続、そして2つのオリンピックへ

(終戦後〜1968年)

 1951年、第1回アジア競技大会で3位入賞を果たしたものの日本代表は未だ世界のサッカーの領域へと足を踏み入れることを出来ずにいた。1954年、第5回ワールドカップ スイス大会予選に始めて参加したものの、1勝も挙げることなく敗退。1956年、メルボルン五輪、1回戦敗退1960年、第7回ワールドカップ チリ大会予選1回戦敗退。(1958年の第6回ワールドカップ スウェーデン大会は不参加)日本代表にとって世界のサッカーは依然として遠い世界のものであった。

 しかし、世界のサッカーの記録に日本代表の名前を刻むときがやってきた。1964年の東京オリンピックである。この大会で日本代表はアルゼンチンを破りベスト8に進出したのである。(1964年、東京オリンピック、ベスト8

 そして、続く第19回メキシコオリンピックでは、日本史上最高のストライカー釜本邦茂の活躍で銅メダル。日本代表は国際大会ではじめてのメダルを手に入れた。(1968年メキシコオリンピック、銅メダル)この時は日本代表の輝かしい未来の幕開けの予感を確かに感じることは出来たのであったが...。

※『メキシコオリンピック』
 この大会で日本代表ストライカー釜本が大爆発、日本代表銅メダル獲得の大きな原動力となった。準々決勝フランス戦、釜本の『右45度』のシュートにより3−1と快勝。準決勝でこの大会初の敗戦を喫したものの、続く3位決定戦では、再び釜本の2得点で地元メキシコを撃破し銅メダルを。釜本はこの大会の得点王も手に入れた。



3、ワールドカップの道、遠し

(1969年〜1985年)

 メキシコの地で世界の舞台に名乗りをあげた日本代表。しかし、真の世界のサッカーの舞台、ワールドカップの舞台に立つのにはまだ多くの苦難を必要とした。

 1969年、第8回ワールドカップ メキシコ大会予選は1勝も挙げることなくグループリーグ敗退1973年、第9回ワールドカップ 西ドイツ大会予選2回戦敗退1977年、第10回ワールドカップ アルゼンチン大会予選、グループリーグ敗退1980年、第11回ワールドカップ スペイン大会予選、準決勝ラウンド敗退。日本のワールドカップ出場、それは夢物語のものかのようであった。

 そんな日本にとって初めてワールドカップ出場の予感を感じさせたが1985年のメキシコ大会予選だった。その日、国立競技場は未だかつて体験したことの無い様な熱気に包まれていた。そこにいあわせた6万人を超える観衆が日本のワールドカップ出場を願い、そして信じていた。ワールドカップ最終予選、相手は韓国。この試合で日本が韓国に勝てば初の本大会出場と言う大一番であった。

 が、試合は地力に勝る韓国有利に進展する。前半で早くも2点のリードを許すことになる。しかし、前半終了間際の43分。国立が最大限にヒートアップする瞬間がやってくる。木村和司の伝説の「40メートルフリーキック」である。ゴール前40メートル付近からのフリーキックのボールは韓国ゴールの左隅に突き刺さったのである。

 結局、この試合も日本は韓国に勝利することが出来ず、日本のワールドカップ出場の夢ははかなくも散った。(1985年、第12回ワールドカップ メキシコ大会予選、最終予選敗退)しかし、新しい日本代表の幕はもうまもなく上がろうとしていた。

                                 つづく
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